東京スポーツ「本日も楽天日和」

2017年6月 7日 (水)

自分の器量を資産で計るといくら?

 そこいらをうろうろしている人々に、いくらくらいお金が欲しいか、と尋ねると7億円などと法外なことをいうおばさんがいる。宝クジの影響である。私が宝くじを買わない理由はそこにある。こんな欲呆け婆あと同じ思いを抱いているようでは、貧弱な発想しか生まれてこないなと感じるからである。その時点で作家失格なのだ。
 平均年収650万円のサラリーマンの場合はまず8千万円くらい欲しいという。マンション購入の資金である。別の年収1100万円。精密機器の会社に勤める課長の場合は毎月の小遣いが10万円あるのが夢だという。情けない解答ではない。高校生の息子の授業料や中学生の塾代にとられて、自分が自由に使える金は意外と少ない。部下におごる酒代もままならない。出張費もけずられてリーマンショック以降はむしろ赤字になるという。マンションの修理代も小遣いから取られるというのだからつらい話である。
 30代の主婦はローン、子供の教育費、その他女の夢をみんな棄ててとりあえず子供が大学に入学するのに充分な資金がほしいと答える。家族は団地住まい、子供は小学生だから目標資金は1200万円である。別の47歳の女は、お金そのものより精神的に喘いでいた。夫が4年前に突然他界してしまったため、生命保険金でやりくりしながら仕事についてふたりの子供を育てているが、何だか毎日が不安で仕方ないという。10年前だったら「人妻クラブ」に出勤して一稼ぎできそうな美形であるが、欝病的な性格が全てを衰退させてしまい、気持まで病んでしまう。こういう人はその心配性的暗うつ主義と一生付き合うしかない。
 同じ50歳近い女性でも派手にまったく派手に、すげー派手に着飾り、積乱雲のような髪にはコウノトリの巣でもありそうなおばさんがいて、これはすごーい崩れた顔にもかかわらずエステの店を3件とブティックなどを経営していて、その言い草が「毎月700万円の小遣いは絶対に必要」などとほざく。3匹の小犬の面倒は犬介護士に任せて自分は二日に一回はホストクラブに出勤しているのである。ホストは若い女に使い、その女は服を買い、食い道楽に走るのだから世の中はうまく回っているのである。
 ふつうの若いOLの場合は様々で、地味な子は部屋で食事を作って朝になると出勤して、という生活をしているから自分の稼げる範囲から逸脱したお金の使い方はしていない。特筆すべきなのは、お金はいらないという子である。どうせIT長者の女か妻になるのでそいつが稼ぐから心配していないという手合いである。一応美人だが脳みそはからっぽである。いづれ金持ちの男を見つけても棄てられるだろうが、そのときには不思議にお金を投資信託にしていたりする。実際、お抱え運転手にゴルフ練習場までいかせる程の贅沢な暮らしをしている会計監査会社経営者の若い女房を知っている。
 これらのことは三千綱探偵団がアットランダムに取材したことなのだが、その目的は自分にいくらの価値があり、自分の器量にはどれほどのお金がマッチするかということを調べたかったのである。結果よりその過程や考え方、自分に合った金銭の使い方をどれだけ承知しているかが大事なのである。私に限っていえば、興奮することもなく悲観することもない現金の上限は2億円くらいだろうと思う。それだけあれば地方競馬の馬主になれる。中央競馬の馬主といわないところが分相応なのである。 

2015年11月12日 (木)

新しい自分に出会う法

 新しい自分に出会う、というテーマは一生追求すべきものである。これは言い方こそ違え、古くて新しいテーマなのである。このテーマを実践するにはどうしたらいいのか。要するに、朝早く起きたとき、昇り出した太陽を見て、みっつのことを思い浮かべればいいのである。
 まず最初は、これからの人生に向かって「新しい己れを発見してみせる」と吠える。具体的にどんな己れかということに言及しているとややこしくなるので、ともかく、現状から脱皮してそれまで想像だにしていなかった自分を発見してみせると叫ぶのである。
 それから朝飯を食う。
 腹がふくれて満足したところで、今年一年のことに思いをはせる。この辺になるとやや現実味と希望が鮮明になってくる。男であれば、新しい仕事を得ようとか恋人をつくりたいと願うこともある。希望がそのまま新しい自分との出会いにつながるのである。
 女であれば、ダイエットをして美しいプロポーションを作りたい、という願いがやはり新しい自分との出会いになる。112キロあった体重をほとんど一年かけて66キロにした身長167センチ、32歳の女を知っているが、彼女は自分で小さいがビジネスをやっていて、仕事が忙しくなるにつれて生き生きとするどころかストレスが溜まりはじめ、一日6食くらいたべる有様であったという。
 男もできないし、自分でも17歳のときに付き合ったことのある男が最初で最後の男だというあきらめてもいた。普通なら女がダイエットを始めたのは男の目を意識してのことか、自己満足のためだと思うだろうが、彼女の場合はもっと切実で、狭いオフィスを歩き回るたびにケツがデスクの角にぶつかってしまい、パソコンを落としてしまったり、他の事務員の不評を買ったりしたあげく、自分の恥骨に青あざをつくってしまう悲しい現実と向き合ってしまった。そして今年一年でデスクの間をするりとすり抜けられる身体つくりをしよと決意して、じっくりと計画を練って、ついに新しい自分と出会ったのである。もともと顔立ちは悪くないし、足も長い。それが脂肪が取れると自分でもうっとりするほどのいい女が鏡に写っているのである。彼女の中で革命が起きたのである。自分にふさわしい男を選ぶようになったのだ。
 女にできたのだから、男にできないはずはない。デブである自分を筋肉質に変えるのは一年のテーマにふさわしい。身体つきばかりではない。一年間、毎日3時間勉強すれば大抵の外国語はそこそこマスターできる。記憶力に難のある者であれば、普通の人が3時間ですむところを4時間かければいいのである。すると英語なんて屁のカッパ、フランス語を自由に喋る自分に出会ってパリで仕事を得ようと考えることもできる。ロシア語は日本人にとってはやや覚えにくいが、これも喋れるようになればとてつもなく美しい肌をした20歳のロシア娘と恋をすることも可能だ。発音がしにくければ「オソソビッチ・オメコニコフ・ボボヘッペスキー」なんぞと唱えていればロシア語に慣れる。
 出勤前には今日はどんな自分と出会いたいかと髭を剃りながら思いをはせる。女は化粧を変えるだけで新しい自分感覚ができるので簡単そうだが、男だってそうだ。男は小便をするたびに亀頭を見る。そこにアイシャドウや口紅を塗ってやれば毎日新しい自分との出会いになる。発想とはそういうものだ。 

2015年9月 8日 (火)

「石川遼プロが羽ばたく未来」

 石川遼プロがゴルファーとして世界に羽ばたくためにはどうするべきか。もし、私がプロデューサーであったらすでに始まったアメリカでのツアーと来るべく数年後を見据えていくつかの提言をしたい。まず、もう一度改めてプロゴルファーとはどんな職業であるのか私の考えを伝えておきたい。
 ゴルファーとは死んでしまっているボールをゴルフクラブを使って空に羽ばたかせる仕事をする者である。そうすることによって生きる糧を得るのである。ゴルフはゲームであるが、それを操る人はまるでマジシャンのように多彩にボールを操る。その見事さによって人々は拍手を送り、スポンサーは勝敗を競わせて賞金を掲げる。子供たちに夢をもたらすためにやっている職業ではない。すべて自ずからが生きていくためにやることなのである。技術が劣っているため、それが充分にできない者は舞台を去っていくほかない。一見、死んでしまったボールを蘇らせて大空に向かって羽ばたかせる人は眩しく見えるだろうが、それを操る者は血みどろの世界にいる。
 多額の報酬を得る者はそれだけ「孤独」になる。生きている限り「孤高」の世界に棲息する。その覚悟がなくてはプロになりきれない。石川遼プロはその世界にすでに歩み出してしまっている。後戻りはできない。
 実践のために訓練し、技術を磨く努力をすることは必要であろうが、そのことに関してはプロデューサーの私は立ち入らないし、その必要もない。コーチがやることである。そのコーチは頭がよく、辛抱強い人でなくてはならない。他人からの受け売りや自分の欠陥だらけの選手生活を後悔しているだけの者からは学ぶことはない。技術を得ることに心理学など無用である。
 女子プロには寄生虫のようなコーチや心理アドバイザーがくっつくことも珍しくないが、程度の低い男でも孤独になることに恐怖を感じる女子には必要な存在なのである。そこにつけ込んで能力のない野郎は生きるためにあらゆる手品を女子プロに施し、奉仕する。相手が北京原人のような顔をした女であっても金の卵を抱いてさえいれば一緒にいる限り生きていける。
 男子プロは自分で考え、実行に移す。それはさながら武者修行の剣士のようである。石川遼プロの周囲にはすでにその存在に頼っている者もいるだろうが、いつでも非情になる心が不可欠である。プロ自身は剣を持って諸国を歩き、強い者を相手に立ち向かう孤高の剣士なのである。それも頭脳を持った剣士である必要がある。操り人形が生きていられるのはほんの一時である。
 ゴルフのスイングはだれかと作るのではなく自ら「創り出す」ことをいう。その過程にいくつかの試行錯誤はあるだろうが、それは成長する自分の肉体との戦いでもある。アマ時代のゴルフとプロの筋力を身つけ、世界に目を向けた自分の違いは自ら見つけるしかない。そこに心理など介在しない。我慢強さが必要なだけである。それを
見つめるコーチにはさらに数倍の能力と耐える力が要求される。お喋りな者に詐欺師はいても実力者はいない。
 外国で闘うには最低英語だけは完璧に自分のものにすることだ。そのための家庭教師はいつも隣に置いておく。同時に楽器をひとつものにする。
 明日からのゴルフでは、まずどうしたら予選を「落ちることができる」のか、それを私はまず実戦で試させる。「落ちる」ことを目標にするのである。パッティングは背中にあたる光が教えてくれる。楽しい世界にいるな、君は。

「なぜ45歳年下の妻と無理心中したか」

 2週間前の10月17日に横浜にある大病院の理事長が妻を猟銃で殺害後、自らも咽を打ち抜いて自殺する事件があった。このことがいまだに私の胸に引っかかっている。最初にメディアの目を引いたのは理事長の年齢が75歳で妻が30歳であったことだ。しかも無理心中の舞台が元東郷青児邸の田園調布という高級住宅街であったことも世間の注目を浴びた。
 だから最初に心ない人々の口端にのぼったのは、若い妻に浮気された老人が嫉妬に狂った末の凶行だろうといった冷ややかな反応だった。年甲斐もなく若い妻をもらうからだと愉快がっていたのである。当然、そこには金持ち、若い美人妻という己には追いつけない状況への憎悪が潜んでいる。
 女たちの事件への思いは、どうせお金目当ての結婚だったのよ、というものが大半だった。しかしそれが事実だとしても、だから殺されても当然だという論理は成り立たない。それこそ嫉妬心が理論を駆逐してしまうのである。女が女に対してもつ敵愾心は、男には計り知れない冷酷なものがある。そんな女と論争しても無駄というものである。
 私の興味をひいたのは男がどうして45歳も年下の女の気持ちを引くことが出来たのだろうということである。いつ正式に入籍したのか分からないが男が田園調布に引っ越してきたのが14年くらい前のことだという。近所の人もいつふたりが結婚したのか分からなかったというし、隣の人ですら妻の顔を見たことがなく、近くのスーパーでも理事長自ら買い物していたようなのだ。色々話を総合するとふたりが結婚したのはこの数年間のことでいずれにしろ理事長は70歳を過ぎていたと思われる。
 これはすごいと思った。45歳年下の妻をもつには相当の情熱、忍耐力、気力、財力、そして勃起力がなければなしえないことだからだ。
 それらを全て備えているとしてもいったいどうやって口説いたのか、若い女をその気にさせたのか。源氏物語の中の光源氏は39歳のとき「藤壺」の姪、13歳の「女三の宮」を妻に迎えている。藤壺は父の妻で源氏は4歳年上のこの義母をまず奪っている。だが好色な源氏もさすがに40歳を過ぎると衰え、26歳年下の「女三の宮」に浮気される。
 戦国一の美女といわれた浅井茶々は19歳のとき秀吉の側室になっている。秀吉は51歳だった。歳の差32歳である。余談だが、NHKの「軍師管兵衛」で戦国一の美女といわれた茶々役をしている女優が世紀のブスなので視聴者を落胆させたが、これはプロダクション側からプロデューサーへ接待攻勢があったせいだと私は勘ぐっている。
 しかし、どちらも男側の地位と権力がモノをいわせている。大病院の理事長の妻となった30歳の女に対しても世間の女達は「どうせお金目当てよ」というだろうが、女、それも美しい女はみんな金持ちの男に選ばれて妻の座を獲ていくのである。31歳のミランダ・カーが49歳のプレイボーイと結婚するのもやつが資産650億円の不動産王だからである。
 しかし、横浜の病院理事長夫妻の場合は全く事情が違うような気がする。妻には人にいえない病気があり、入籍したのも救いたい、救われたいという思いが互いにあったからではなかったのか。心の病気は深刻で、治癒する見込みがないと知ったとき夫である医者の絶望は極点に達したのではないか。作家の結論は悲惨過ぎるものだったかもしれない。

2015年8月12日 (水)

「癌も逃げ出す爆笑ドッキリ」

 台風18号が温暖低気圧に変わったと思ったらまた次に19号が控えている。来週はゴルフ週なのに来るんじゃねーと思うだが、ここでもマイク片手に台風を求めて飛び回るテレビのレポーターがいて、お笑い芸人さながらの「ヒエーッ!」という演技力を発揮している。どうせならアンチャンでなく若い女性がパラシュートデザインのスカートを穿いて、「キャッ、キャッ、まくれるー!」レポートをすれば視聴者の憂さも晴れるというものであろうが、報道という建て前、被災者の出ている地域ではハシャイデなぞいられない。だが、この建て前というやつは実に窮屈に来ている。官僚にとっては無能さを隠す防波堤のような役目をしてくれるありがたいものだが、国家としてみたら建て前に縛られている内は一級国にはなれない。
 こういう沈みがちな日は台風の進行方向を変えてくれる迎撃機械でも発明したというホラ話を聞きたいものである。下がってきた偏西風をもう一度押し上げて、南方からやってきた台風を中国共産党本部のある北京に向けてくれる巨大扇風機があれば日本は中国からの恫喝とは無縁になれる。
 そんなことを夢想しながら晩飯を食っていたのだが、何げなくみたテレビ番組に笑いが止まらなくなった。「報道ステーション」では悪評がやまないテレビ朝日だが、親会社からの横やりの入らない演芸部門ではやりたい放題、死んでも視聴者を笑わせてやるという意気込み充分で、その熱気にやられてこちらも笑いっぱなしで食事どころではなく、逃げ出したブルドッグも途中で立ち止まってこちらをみて首を傾げていた。
 題して「爆笑どっきり70連発!」というもので2時間半のスペシャル番組である。くりぃむしちゅーうの冠番組ではあるが、彼らが特別何かを仕掛けるわけではない。彼らもモニターをみながらただ笑っているだけで、これでふたり会わせて500万円の出演料がもらえるのだからやはり笑いはとまらない。
 すでに日にちもたっているのに今更何でこんなことを書くのかというと、理屈なしに大笑いしたからである。今年一番笑ったし、胃に出来ている癌も笑いに消し飛ばされてどっかへいってしまったほどなのである(6・1あった癌マークが翌日には5・2になっていた。逃げ出しやがったのである)。
 もともと「びっくり」はアメリカの「隠しカメラ」を日本のどこかのテレビ局が真似したもので、本家のアメリカではかつては一般人をびっくりさせて視聴者の笑いをとっていたものだが、ネタ切れになり、写された一般人からの賠償金欲しさの訴訟も増加したので今ではほとんどやめている。コックがスープに唾を吐くシーンの隠し撮りを見ても全然面白くない。
 日本ではかつて仕掛け人に有名な俳優や歌手を使うことがあったが、同伴喫茶で人気絶頂だったいしだあゆみがウエイトレスになって注文を取りに行っても暗がりで下半身をまさぐり合っている同志など見向きもしない。これなどは企画倒れで演出が幼稚だったからである。今回の「爆笑ドッキリ」では砲丸投げの大会で着地と同時に砲丸が爆発して投げたお笑い芸人がぶっ飛んだときには本当に爆笑した。審判員ものびてしまう演出もあったりして思い出すたびに笑ってしまう。若い頃は訳もなく元気だったが、このドッキリを見ると訳もなく大笑いできるから幸せだ。第4弾が待ち遠しいぜ、アミーゴ。

2015年8月 7日 (金)

 「誰かのために生きられる人」

 あなたは誰かのために自分を犠牲にすることができますか、と問われたら何と答えるか。ロシア人ならそんな質問したやつを問答無用に殺すだろう。アメリカ人なら、家族のためならと映画のヒーローぶっていうだろう。中国人なら犠牲になる代わりに金を奪うだろう。フランス人なら美女を抱くだろう。イタリア人なら答えを言う前に逃げ出すだろう。イギリス人なら無視するだろう。
 日本人なら、世間体をはばかって、はいできますと答えるだろう。今話題のソフトバンクの孫正義氏は、東日本災害のとき個人で100億円の義捐金を出すと言った。100億円はすごい金額だが自分を犠牲にしたことにはならない。資産5千億円といわれる孫氏にとってはたかが金なのである。しかし、実際のところ彼は30億円しか提供していないという話も伝わってきている。その他、大金持ちの企業家が個人資産から数億円の義捐金を出すといった話は出たが、その後の朝日新聞の追跡調査があいまいなので真実はわかっていない。義捐金を支払って人には税金の優遇もあるし、赤十字が発行する領収書で証明もできる。
 では私だったら何と答えるか。自分のもっているものの中から、なんでもいいから1%だけなら犠牲にできる。しかし、欲呆けしたヒステリー婆はお断りであると注文をつける。
 そんなことを考えたのは出版されたばかりの鎌田實氏著「1%の力」(河出書房新社)を読んだからである。この1年間で鎌田氏は5冊の本を出版しているが、これが一番私の心に響いた。自己主張だらけの今こそ誰かのために「1%の力」を与えてみようというのが主旨である。そうすれば自分にも幸運がやってくるという。彼は哲学者でも宗教人でもない。チェルノブイルで放射能の被害にあった子供たちをもう24年間に渡って支援している医者である。
 私は自己啓発という言葉をバカにしているし、こうすれば自分を理解をしてもらえると言った類の本を詐欺師の広告本としてしかみていない。医学本もしかりである。医学博士が書いた「目がよくなる」本は要するに腹式呼吸の仕方を教えただけのものであるし、肝臓がよくなるという類の本も結局は自分が関与する薬の宣伝であることが多い。癌が消えたといった本は洪水のように発売されるが、目的は病院に患者を呼ぶことであり、その薬によって癌が小さくなっても完治することはない。「ダイエット」本にいたってはあからさまな健康補助食品の宣伝であり、私にいわせれば、ダイエットなど早寝早起きで解決できるのである。糖尿病に関する本も多いが、糖尿病が万病の元であることは事実だが、そもそも何故糖尿病になるかという簡単なことが実はまだ医学では証明されていないのである。
 真面目に肝臓病に関する本を書いている医者もいて、その内のひとり、日本でも三本の指にはいるという名医の診断を4年前に受けたことがあったが、採血のあとの診察で「もう肝硬変になっている。このままだとあと三ヶ月以内に死ぬ」といわれたことがある。傲慢にもほどがある。
 私が鎌田實という医師を信頼するのは「がんばらない」という童貞(処女?)エッセイの中で、死んでいく父を前に酒好きだった父に注射を打つ代わりにビールを呑ませたことである。それこそ私の理想の臨終シーンである。「1%の力」の中で鎌田氏は「人間には避けられないことがる。それは生きることです」といっている。けだし名言である。

2015年7月31日 (金)

 「テニス・サムライまかり通る」

 世界一のいただきに挑戦する錦織圭選手の姿は輝いていた。富士山からエベレストを越え、世界を見下ろす快感を体感できる準備は整っていた。もし頂点に佇むことができたら彼の目に映るその景色はさぞかし壮観であったろう。勝負の女神はときとして残酷な仕打ちを若者に与える。もう一度挑戦してみろというのである。
 だが、錦織圭という日本産の若い選手が全世界に与えた衝撃は大きかった。テニスは白人のスポーツとして出発し、欧米のスポーツメディアはあくまでも公平さを全面に出していたが、アジア人が世界の頂きを登り詰める光景など思い描きたなかったのである。錦織圭選手が自らマイケル・チャンをヘッドコーチとして迎え入れたのも、外国で何度か人種の壁にぶちあたって悔しい思いをしたからに他ならない。しかし、彼の名は立派に世界のサムライ・テニスプレイヤーとして人々の記憶に刻まれた。そう、日本人を表現する象徴はあくまでもサムライなのである。
 それでいい。日本でテニスをするだけでは世界一の「表現者」になれないと知ったからこそ錦織圭クンは13歳でアメリカに武者修行に旅だったのだ。江戸時代でも寛永以降は13歳で親元を離れて剣の道に進んだ者は皆無に近い。私が彼を本物の剣士であると思うのは、自分の能力を信じ、一直線に進んだ勇敢さを失わなかったからであり、勝ち進んでいるときでさえ、被災者へ勇気を与えたいなどという万人受けする言葉などひと言もいわず、テニス道に邁進していたからである。きれいごととは無縁だった。
 そして試合を重ねるたびに錦織圭選手の名前は世界に浸透していった。テニスは日本ではまだマイナーなスポーツだが、欧米では上流クラスの子女にとってピアノと同じように修得すべき華麗なるスポーツなのである。選手への投資を惜しまないファンには成り上がりの資産家と名門貴族の二種類があった。やがて錦織圭選手には彼を支える「チームK」が結成された。コーチだけではなく、トレイナー兼理学研究士、栄養管理士、語学教師、がいつも彼の回りにいた。そうして錦織圭選手は開花していった。忘れてはならないのは世界4位の日本人最高位にランクされたのは今も活躍している当時伊達公子という愛らしい大和撫子であったということだ。
 欧米のメディアを驚かしたのは伊達公子のテニステクニックだけではない。肉体的なハンディを背負った彼女には卓越すべき頭脳があったことが発見されたからである。二人に共通するのはこれまで欧米人が無視していた頭脳戦略が存在していたのである。努力だけで世界一になれると教えるコーチはどんなスポーツであろうと、その時点でコーチ失格なのである。ゴルフでもプロと名の付く者の実力はほとんど横一線であり、紙一重の差である。
 ではなぜ差がつくのか。「考える力」が差をつけるのである。錦織圭選手が俊敏なのは、記憶力に裏打ちされた相手の動きを瞬時に判断し、鍛えあげた筋力がその感覚をくんで、たちどころに打ち込むことができたからである。司令塔である頭脳が戦略を発するのだ。欧米の選手が今後恐れるのはその頭脳である。
 ところで放送権を独占していたWOWOWは視聴者を飛躍的に伸ばし、これまで注ぎ込んだ資金の元を取ったとごきげんだろうが、私が社長なら決勝戦も初日と同じように視聴料金を無料にして子供たちに夢を与えたはずである。企業が国民のために働ける機会はそう多くはない。それが企業を伸ばす「頭脳」なのである。

2015年7月28日 (火)

 「いつも楽しいお金の話」

 日本人に限らず、男はお金の話が好きである。ニューヨークのプラザホテルのロビーでは事業契約の事前段階での打ち合わせとか、ヘッドハンティングの年俸交渉などをしている。パリでは離婚のための慰謝料の額だけでなく原発の損出分を日本国家に支払わせる算段も恐らくしているのだろう。ロンドンでは為替差益でどれだけ儲かるかという話に余念がない。
 日本のホテルでも紳士どもの口をつくのは金の話ばかりである。未上場株で儲けようという詐欺師まがいの話や国家から予算を分捕る作戦話まで余念がない。誰にどれだけの財産があろうがどうということはないはずなのだが、黙って聞いているといつまでも喋っている。女のお喋りには噂話とダイエットという強い味方が時代にかかわらず続いていて話題にことかかないが、男は規模こそ違え、テーマは金の話だと決まっている。
 居酒屋では年金額が減るという老人がぐだを巻いているし、公益賭博場の近くの飲み屋では次に入る生活保護の日までどうやって食いつなぐかという情けない話が出る。競艇がなければどうせ近くのパチンコ屋に駆け込むだけなのだから、別におめーらが食いつなぐ心配など無用だろうと思うのだが、だれかが棄てたスポーツ誌を読む連中でもまだ生きていたいのである。生活保護は真面目に働き日本国家に税金を納めていた人が万策尽きたときに支払われる種類のものなのである。密入国者や怠け者の為にあるのではない。
 だが、その生活保護費だけで食っていくのはやはり困難である。子供ひとりの家庭であれば年収300万円はギリギリの額である。そういう人のほとんどはなんらかのローンをかかえているからどんなに少なくても月に30万円はかかる。日本の出版界では困ったときの金頼みという慣習があり、編集長が変わったり雑誌に勢いをつけたいと思うときには、大抵金儲けの話か年収300万円のテーマをもってくる。その昔、雑誌の売れ行きが落ち込むとスポーツ紙なら長島茂雄、旅行雑誌なら京都特集を組んだものである。しかし、年収300万円の特集はいかにもさみしい。
 ではいったい男はいくらあれば危機から救われるのかというと、これは私個人の感想であるが「2億円あればなんとかなる」と思っている。80万円で充分だといういう人もいれば会社の借金返済に20億円必要だという社長さんもいるだろうが、会社の借金などクソ食らえである。倒産して夜逃げしてしまえばいいのである。そこに2億円が残ればなんとかなる。億ションを買うのには2億円では足りないという人は実はそれだけの金を扱うだけの器量がないのである。だから億ションなどとたががはずれたことをいって夢を見ている。将来のダービー馬を買おうとする人間には2億円より男の器量がものをいっているのである。
 そこで「年収300万父さんのリッチ経済学」(プレジデント)だが、この会社やダイヤモンド社は綿密に取材をし資料を集めているから内容は充分に信用できる。年収300万円の人は「幸せの源泉は家族」だと思っている人が96%、という数字が示すように家族と共に過ごすことを何より優先している。ワンコイン弁当をやめて愛妻弁当が52%、ケチではなく倹約家で他人を不愉快にさせることがない、など理想的な人生哲学の持ち主である。愛妻弁当と聞いて耳の痛い人は1千万円の年収でも不幸だということなのだ。ただ小遣いが2万円の人が750円の雑誌を購入する根性があるかな。

 「鬼才・つかこうへいの遺した者たち」

 鬼才・つかこうへいが遺した者たちという売り文句で「飛龍伝2014」(北区AKTSTAGE)が7月10日の彼の命日に紀伊国屋ホールで幕が開いた。わずか4日間の公演でそのあとは全国行脚に出るという。この芝居は全共闘時代の学生と機動隊との衝突の中で生まれた愛を描いたものであるが、話はかなり歪曲されていて風刺とも滑稽瓢ともクソ真面目な愛の賛歌ともとれるものだ。
 そのつかこうへいが死んで4年が経つ。もともとつかには劇団らしきものがあったが正式に「北区つかこうへい劇団」を旗揚げしたのは94年のことである。2010年につかが亡くなって劇団は解散したが、このたびつか芝居に陶酔を受けた者たちが「アフター・つかこうへい」の頭文字をとって劇団を復活させた。
 だが、つかの芝居そのものを再現させるのは不可能だ。役者が違うだけではない。そもそもつかの芝居には決定版というべき戯曲の台本がないからである。ト書きみたいなものはあったが、そんなものを無視してつかはその場で思いついたことを役者に喋らせる。それをすぐに暗記させる。ノートにセリフを書き写そうとした女優はばかやろう覚えろと罵倒される。「ストリッパー物語」で最初のヒロイン役を演じた根岸とし江(根岸季衣)は傷の数だけ新しいセリフを覚えさせられていた。
 彼とは同年で彼が岸田戯曲賞で名を上げたとき、私はようやく新人賞をとったばかりだった。26歳のとき早稲田大学の講演会で一緒になり、何事もきっちりと決めるタイプのつかと何事にも場当たり的な私との性格の違いが反作用してよく飲み歩くようになった。彼の芝居つくりは独特だった。一見、荒唐無稽に思える長いセリフ回しにも彼の計略がひそまれていて、実はそれはさして意味のあるものではなくうかこうへい一流のこけおどしだった。彼の頭の中には物語の結末のひとことが常に用意されていて、役者のセリフはその途中にある片田舎の駅舎のようなもので、どうにでも片づけられるものだった。劇評家はそのセリフに在日韓国人としてのつかこうへいの憤りと悲哀を見出そうと躍起になっていたが、その半分はそうであっても、彼は思想より演劇のもつ芸術の力そのものに挑戦していた。
 「やれ、イプセンがどうのと能書きばかりいいやがる偽者ばかりはやりやがって、頭にくるよ」とつかはいっていた。彼の芝居の本質は「熱海殺人事件」に現れている。スゲー面白かった。まだ「VAN99」があった頃そこでよく公演していたが、場内は若者の熱気でむんむんしていた。その第一時つか劇団の公演を見ることができた者は幸せだ。机と椅子があるだけのセットに蝶ネクタイをした三浦洋一が座っている。そこへ加藤健一の殺人犯がつながれてくる。調書の取り調べの最中で殺された工員役の平田満が登場する。彼は花子を連れて海にいったと述懐する。すると蝶ネクタイの刑事が怒鳴る。「海を見たかっただと。ばかやろう、それはな夜の六本木で女と踊り酒を飲み、朝焼けの空を見てふと呟く『海がみてえな』、そいでスポーツカーをぶっとばして湘南あたりにいくブルジョアのいうことなんだ。てめえのような工員風情が海を見てえなんてしゃれたこというんじゃねーよ、殺されて当然なんだよ」。そんなことをいわせる演出家はいなかった。
 やがて名物編集者、見城徹(現幻冬舎社長)の助勢があってこの作品は小説家され直木賞を受賞する。今日は直木賞の発表日だ。

「琴音さん、松山君、帽子を脱ぎなさい」

 堀琴音さん個人を攻撃するのが本意ではない。非難されるべきは日本ゴルフ協会であり、女子プロ協会である。琴音さんはアマチュアゴルファーであるから一般的にはそれほどその名を知られていないかもしれない。だが7月の最終プロテスト合格後はプロとしてデビューし、その将来は藤田光里さんと共に高く嘱望されているからあえて苦言を呈するのである。
 違和感を感じたのはアマチュアの琴音さんが女子プロゴルファーを下してステップアップツアーのABCレディースに優勝した表彰式のときである。シード権のないプロにとっては150万円の賞金もさることながら、様々な特典がつく優勝は夢を約束された場所なのである。その表彰式には出場したほとんどすべての選手が出席して優勝者を祝った。みな女性らしい色とりどりの服装をしていて会場には華やかな雰囲気が漂っていた。だがその表彰式の中心に立ったアマチュアの琴音さんだけが帽子を被っていた。帽子には「ツアーステージ」の文字が緑色に輝いている。大会会長が表彰するときも彼女は帽子を被ったままだった。
 アマチュア規定で琴音さんには賞金は与えられなかった。だが協会にそんな気高い良心があるのなら、なぜアマチュアに企業ロゴの入った帽子を被って表彰式に出ることを許すのか。ツアーステージはブリジストン社の製品名である。その企業から提供される協賛金で協会が競技運営を賄っているのは誰だって承知している。しかし、そんな薄汚いことは裏で取引すべきことだ。優勝した無垢なアマチュアゴルファーを自分たちの地位と権利維持のために人身御供に使ってはならない。
 アマは大会スポンサーに対して配慮することは無用であるし、おもねる必要はない。向こうが勝手に用具を競って提供してきているだけだからだ。一般の人は知らないだろうが、赤字に苦戦しているゴルフ用具界では将来性のあるアマチュアに対して中学生の頃から唾をつけ、企業によっては競技に出る費用まで負担しているのである。飯代を企業から受け取ったと非難される大学野球界が可哀相なほどである。宮里藍ちゃんは高校生の頃、交通費が親に負担をかけていることに心を痛めて出場できる試合を絞りに絞っていた。改造したキャンピングカーで移動していた横峯さくらちゃんもそういる理由があったからだ。琴音さんがあの表彰式でもし帽子を被るように企業側から要されたのならそんな企業など棄ててしまいなさい。いま日本のゴルフ界は空前のアマチュアブームがきているが琴音さんの立場を借りて、当時者であるアマチュアゴルファーに警鐘を鳴らしたい。ゴルフ協会の思惑や企業の争いに巻き込まれてはならない。
 松山秀樹選手はもうプロなのだから「スリクソン」のロゴ入りの帽子を被ってインタビューに応じるのは仕事である。だがアマチュア時代からの教育の甘さが出たのは、優勝したザ・メモリアルで全米の尊敬をになっているホストプロのジャック・ニクラウスの祝福に対して帽子を被ったまま握手に応じたことである。石川遼君は米国ではまだBクラスの選手だが、愛されるのは礼節というオーラを出しているからだ。セガサミーでは長嶋茂雄氏に帽子をとって敬意を表した。これは一流プロへのステップである。松山英樹君、世界のAクラスプロになるにはまず礼儀正しさ、そして技術力、語学力と続くことを肝に銘じるべきだ。欠いているふたつをおぎなえるようになったとき、君は世界に誇れるプロになれる。まず全英で見せてもらう。        

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