2009年10月 6日 (火)

やる気が遺伝子を呼び起こす

 オリンピックを見て一喜一憂しながら、たびたび考えたことがある。それは、環境が変わっただけで、人の能力には変化が訪れるものなんだなあ、という感慨である。
 環境の変化で分かりやすいのは、外国に行ってしまうことで、ことに運動選手の場合は顕著である。
 日本ではもう使えなくなったような野球選手が、アメリカに行って思いがけない活躍をすることがあるが、それも環境の変化がもたらした効果だ。今年引退声明を出した野茂英雄投手は、近鉄を出るときは契約問題で我儘をいったようにとられ、その年が不調だったこともあって、あの投法が大リーグで通用するわけがない、と陰口を叩
かれたものだが、その後、アメリカ中を興奮の渦に巻き込む活躍をした。彼に続いた日本人プロ野球選手も同様だ。
 ただし、逆の例もある。日本で敵なしだったジャンボ尾崎は、アメリカに行くと、意気消沈してしまって、日本にいるときの実力がまったく出せなかった。反対に青木功の場合は、外国に行くと、その地で生まれ育ったように溌剌としていた。この人の場合は今でもそれは変わらない。
 こういった運動選手の変化は、環境が変わることによって、それまで眠っていた遺伝子が「ON」になった効果の現れであるという。
 これはバイオテクノロジーの権威である村上和雄氏の意見だが、なるほどと頷かされる言葉である。人間の身体には60兆の細胞があり、そのひとつひとつに同じ遺伝子が組み込まれているという。その遺伝子が実際に働いているのは5%程度であり、あとは眠っている。それを起こす役目のひとつが、環境を変えることなのだ。
 それによってやる気がでたり、気合いが入ったりして、眠っていた遺伝子に灯りがともり、本人の潜在能力が活発に働き出すという。これは環境だけでなく、考え方を変えるだけで、遺伝子はどうのようにでも動く。
 たとえば、戦う相手を見て、負けるかもしれない、と思った瞬間、その選手は負ける。それまで働いていた遺伝子が「OFF」状態になってしまうからだ。反対に、「面白い試合になりそうだ。なんだかワクワクしてきたぞ」と思った選手は思いがけない勝利を得る。5%しか起きていなかった能力をもった遺伝子が10%になったら、当然力は倍増する。
 これは火事場の馬鹿力にも通じることなのだろう。死んでたまるか、生きてやる、という強い思いが、力持ちの遺伝子を叩き起こし、すさまじいエネルギーを呼び起こすからだ。私は子供のころ、火事になった八百屋の奥から、いつもは腰の曲がってよぼよぼしていた老婆が、鬼のような形相で和箪笥をかついで表に出てきたのを見たことがある。
 この遺伝子を起こす方法は、環境の変化を待つまでもなく、自分でコントロールできるはずだ。否定的なことは考えず、いいことだけを考えるようにすればいいのだ。よくプラス思考でいこう、そうすれば運がよくなる、ということを得意になっていっている人がいるが、プラス思考なんていう曖昧な言葉でなく、自分の胸に感動の嵐を巻き起こせがいいのである。すると、すべての流れが自分の思う方向に流れ出す。村上和雄氏の著作はいろいろな人に感銘を与えるだろう。
 なでしこジャパンは、それぞれの胸に灯ったやる気がチーム全体の遺伝子の目を覚ました。見ていただけの私も幸せになれた。勇気を、ありがとう。
 
(記事:2008年8月)

2009年10月 2日 (金)

江戸歴史散歩とお祭りの休日

 今、江戸歴史散歩が中高年の間でひそかなブームを呼んでいる。鬼平のテレビドラマは終了したが、鬼平の歩いた跡をたどって江戸風流に浸る人は以前より増え続けているという。単なる趣味で散歩するのではなく、江戸文化を肌で感じ、イマジネーションを働かせて江戸風俗を思い起こすことは、脳の活性化にもつながり、江戸の人情、粋さ加減を堪能することにもなる。それは、やさしい心を思い起こすことにもつながる。
 団塊の世代が定年退職を迎え、私の耳にも定年鬱病の苦しさを訴える声が聞こえてくるが、同好の士と大江戸散策をして、大いに語り冷や酒でイッパイやれば、鬱病などふっとんでしまうものである。
 私も時代小説を書くので、淺草や深川などを散策することがある。作家の北原亞以子さんや笠原淳氏と江戸散歩の会をつくり、上野から根津を徘徊し、当時まだ残っていた女郎屋の建物を見学したり、浮世絵の刷り師の仕事ぶりを見せてもらったりしたあと、おでん屋に入って酒を飲んだ。私たちの気に入りは、高岡八幡宮から深川不動尊、清澄庭園でやすんでからどじょう鍋でイッパイやることであった。
 そんな時間を過ごすのが好きなので、先週の日曜日に「江戸歴史散歩の会」の交流会に参加した。これは49回目の交流会で、今回は「日野新撰組散歩」というテーマであり、家から近くもあったので1500円の会費を払って、およそ50人の人々と新撰組を訪ねる散歩をした。主催者は榎本民夫という人で、私とほぼ同年輩で、01年に同好の士をホームページで呼びかけ、15名がまず集まって散策の会をやりだしたという。
 第一回目は上野公園で、その後、飛鳥山、王子や本所、深川、六本木ヒルズと麻布十番など、そのときどきの花模様や希望にあわせてテーマを設定した。ただ歩くのではなく、大江戸の歴史と風情を学び、保存することの大切さを認識するのである。
 私は初参加だったが、会の雰囲気にはすんなり入り込めた。女性も三分の一ほど参加していた。この日のコースは日野駅から井上源三郎の墓所のある宝泉寺から佐藤彦五郎家の墓所、八坂神社、井上源三郎資料館、昼食のあと天然理心流、佐藤道場のあった日野宿本陣跡、土方歳三の墓所、石田寺、歳三の生家近くのとうかん森、歳三資料館と回った。新撰組ファンにはいづれも馴染みのある名跡であるが、私も知っているつもりでも新しい発見もあった。
 新撰組六番隊組長の井上源三郎の資料館では、館長である井上雅雄氏が休館日であるにもかかわらず、我々のために資料館を開放してくれたばかりか、丁寧に解説までしてくれた。彼は井上家五代目であり、奥さんは沖田総司を輩出した沖田家の類縁で、数件離れたところから嫁いできたという。総司が9歳までここで源三郎と共に、剣術の稽古をしていたのは初めて知った。
 この日、日野駅前では祭りが開催されていて、各地から踊り自慢が集まってきて、暑い中、それぞれ創意工夫し、鍛錬した踊りを披露していた。私は祭りの主催者からもらった氷いちごを食べながら眺めていたのだが、熟女女性から少女までのエネルギーを同時に吸収して頭がくらくらしてきた。この世は女が作ったもの、という尊い認識を新たにしたのである。夜は地元の祭りを見ながら人妻とビールを飲んだ。こんな休日もある。いや、毎日が休日かな。

(記事:2008年7月)

2009年9月 8日 (火)

それでも私は生きている

 仕事場のある東京・府中にいきつけの小料理屋があった。女将の手料理を楽しみに寄ってくる年輩の独身者が定連だった。お刺身は氷見湾直送の魚で、ことに人気が高かった。地元の人はほとんど来なくて、客の職業は、大学教授、彫刻家、画家、広告代理店の女性局長、踊りの師匠、会社重役、レントゲン技師と多士済々だった。作家である私は、みなから「巨匠」と呼ばれていた。尊敬とはほど遠い目でそう呼ぶのであるが、温厚な私は眉間に皺を立てることはなかった。
 この店が3月末に閉店した。女将は離婚してふたりの子供を育てた人だったが、近年リウマチがひどくなった上に、昨年暮れに、信号待ちしているところを追突され、頸に変調をきたして、ついに続行を断念したのである。
 病気だけでなくて、わずか15名ほどの常連客では、家賃の支払いにも四苦八苦することもあったと推測される。
 行き場を失った常連客は「K店難民の会」をつくって、月に一度、女将の手料理を食する会を催すことにした。もともと客同士仲がよくて、旅行にいったり、花見をしたり、河原で芋を煮たり、店以外でも楽しんでいた。
 その第一回の会が先日、大学教授の家で催された。経済学の女性教授はひとり暮らしで、家をまるごと会のために開放してくれたのである。だが、その記念すべき第一回目の会で、私はみなの厳しい監視の目にあって、ついに一滴の酒も口にすることができなかったのである。
 その数日前に出された総合検査報告書で、私のγーGTPが3950/Iという天文学的数値に上がっていることがみんなにバレて、今夜「巨匠」に飲ましたら、全員自殺幇助罪になるという結論に達したのであった。
 あと50ポイントあれば4000になったのに、という私をみなはあきれた目で眺め、生きようと必死に戦っている病人もいるのに、なぜあんたはそんなに命を粗末にするのだ、と本気で怒っていた。
 これはあきらかにアルコール性肝障害の数値なのだが、医者によっては、200/Iの数値で患者を叱咤し、パニックになる患者もいるという。正常値は50以内なのである。つまり私の数値は、正常値の百倍近いということになる。
 γーGPTだけでなく、GOT、GPTといった肝機能を表す数値も基準値の5倍以上という惨憺たる有様で、報告書を前にした担当医師は、しばらくの間、悄然としていた。
 実は、昨年10月の検査結果で、私のγーGPTは1093/になっていて、このままだと肝硬変になる、といわれていて、そうなったらどんな名医でも治せませんよ、と担当医師から指摘された私は、
 「ということは、肝硬変にイーシャンテンくらいですか」
 といって、医者をがっくりさせたことがある。そのあと彼は、若い人だと、一週間禁酒すればγーGTPはすぐに下がるが、年配者ではそうはいかない。あなたの場合は最低3ヶ月は禁酒しないと肝硬変になりますよ、いや肝がんになることもあります、と厳重に注意を受けていた。
 その後も私は呑み続けていたために、担当医師の前に顔を出せず、4月に入って体調に異変を感じて検査を受けたのである。
 「あなたの新作を待っている読者もいるんだ」そう涙ながらにいってくれた定連客の言葉を、素直に聞く時期にきたようである。

(記事:2008年4月)

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このブログは、「東京スポーツ」連載中の高橋三千綱のエッセイ『本日も楽天日和』より、過去に掲載されたものを抜粋してお届けいたします。
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